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練馬・桜台情報局

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歴史探訪

パネル展示@佐々木邸(江古田)

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10/7~10/14江古田ユニバース2012関連企画。

江古田の佐々木邸(同潤会分譲住宅)で、パネル展示が行われています。

佐々木邸
佐々木邸(文化財)

外観
外観@佐々木邸(江古田)

1923年(大正12年)の関東大震災により多くの家屋が失われ、大量の住宅供給の必要が出ました。

同潤会は1924年に設立され、大量の仮設住宅を建設。翌年から集合住宅・分譲住宅の供給を開始。

火に強い鉄筋コンクリート造の集合住宅はコストがかかり、家賃収入のみでは回収が困難なことから、1928年頃から木造平屋建ての分譲住宅を中心に供給。

こちらの佐々木邸は、1934年(昭和9年)竣工の同潤会江古田分譲住宅30棟の1つで、創建時の姿をほぼ残しています。

2010年2月に文化庁により主要部分が登録有形文化財として認定されました。

当時の生活様式を知る貴重な文化財となっています。

江古田ユニバース2012関連企画として、期間中、佐々木邸の外壁に、佐々木邸保存会&練馬まちづくりセンターによるパネル展示が行われています。

パネル
パネル@佐々木邸(江古田)

パネル
パネル@佐々木邸(江古田)

パネル
パネル@佐々木邸(江古田)

佐々木邸は、原則非公開で、不定期に見学会が行われています。

内部の見学はできませんので、外観から当時の様子をお偲び下さい。

場所はこのへん

東京都練馬区小竹町1丁目36−4

佐々木邸の詳細情報

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桜台の石仏・石碑

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桜台を歩いていて、江戸時代の石仏・石碑を見つけました。

場所は桜台通り(バス通り)から広徳寺に至る旧道。

ちょうど五叉路になっているところ。

江戸時代には五叉路など交通の要所に、道案内の看板の替わりに、地蔵や庚申塔を建てて、道行く人の安全を図っていました。

江古田ゆうゆうロードの五叉路にも庚申塚があるねぇ~
 過去記事:庚申塚@江古田ゆうゆうロード

4基の石仏・石碑
IMG_2225

1番左
石仏@桜台

1番左の石仏は、寛政9年(1797年)に造立された青面金剛像の庚申塔。

左から2番目
石仏@桜台

左から2番目の石仏は、元禄2年(1689年)に造立された地蔵菩薩像。

たいへん優しく穏やかな顔をして、旅人の安全を見守っているお地蔵様。

左から3番目
石仏@桜台

左から3番目の石仏は、延享2年(1745年)に造立された青面金剛像。

邪鬼を踏みつけ、怖い顔して戦闘体制。旅人の安全を守っています。

ちなみに、一番右の石碑は、明治23年(1890年)に造立されたもの。

「馬頭観世音」と書かれています。

西洋的な文化を取り入れようとする明治政府は、日本の庚申信仰を迷信と位置づけ庚申塔などを破壊したので、残っているものはレアです。

2つの青面金剛像のお顔が崩れている(?)ように見えますが、自然に崩れたのか、削り取られたものなのかは不明です。

今ではすっかり人通りがなくなった旧道ですが、江戸時代には多くの旅人が、この前を通っていたんでしょうかねぇ。

昔はバスも電車もなく、徒歩のみだから大変だねぇ。

いろいろ想像すると、なんか歴史のロマンを感じるねぇ。

場所はこのへん

桜台駅(東京)


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江古田富士塚

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江古田冨士塚@2011/7/1

江古田浅間神社の裏にある江古田の富士塚

ここを「登山」できるのは、年3回のみ。

正月、7/1(山開き)、9月の第2土・日(浅間神社のお祭り)

当ブログでも、今年の正月に「登山」しました。
 ⇒過去記事:富士塚登山(2011/1/3)

貴重な年3回の機会、せっかくなので7/1(本日)行ってみると、

「あれ?門閉まってる!?」

そして、張り紙

震災による損傷があり、修復完了まで「登山」出来ないなんて!!

次回の9月第2土・日(浅間神社のお祭り)には間に合うのかな?

意外なところに、震災の傷跡が、まだ残っていました・・・

場所はこのへん

東京都練馬区小竹町1丁目59−2

茅原浅間神社の詳細情報


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江古田という地名のおはなし

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現在、練馬区には、「江古田」という地名はありません。駅名だけ、あります。

中野区には、「江古田」という地名があります。

でも、昔は練馬区にも、「江古田」という地名がありました。

1960年(昭和35年)、練馬区の「江古田町」は、「旭丘」に改名しました。

2つの「江古田」。先に生まれたのは、中野区側の「江古田」。

室町時代には、中野区側の江古田は、「江古田」と呼ばれていました。

江戸時代になって、武蔵国多摩郡江古田村になりました。

そこの村人が、現在の練馬区旭丘周辺を開拓。農地を整備・移住し、「分村」しました。

江古田新田(えごたしんでん)」と呼ばれました。

領地としては、武蔵国豊島郡に所属しましたが、特例として年貢の徴収などは、母村の多摩郡江古田村が行いました。

「武蔵国豊島郡上板橋村字江古田」と呼ばれました。

1878年、「東京府北豊島郡上板橋村字江古田」に。

1922年、武蔵高等学校(現・武蔵大学)創立とともに、武蔵稲荷付近に停留所が設けられました。

1923年、江古田駅が開業。

(当時は)江古田という地名の場所に建てたので、江古田駅という駅名をつけました。

1932年、板橋区が成立。

それと同時に、上板橋村は、上板橋、小山町、茂呂町、根ノ上町、大谷口町、向原町、小竹町、江古田町に分かれ、「板橋区江古田町」になりました。

1947年、板橋区から練馬区が独立。

それと同時に、旧上板橋村から、小竹町と江古田町だけが練馬区に加わりました。

小竹町と江古田町だけが練馬区になった理由は、警察署の管轄が、練馬側だった為とも言われていますが、街道が東西に走り、経済圏が近かった為とも思われます。

「練馬区江古田町」として、練馬区の東端の地区となりました。

しかし、練馬区側と中野区側に「2つの江古田」があっては、わかりづらいという論争が勃発。

1960年(昭和35年)、住民投票が行われ、「江古田町」は、「旭丘」に改名されました。

旭丘という地名は、町内の「旭ヶ丘小学校(旧・上板橋第三小学校)」から付けました。

1963年、旭ヶ丘小学校は、地名に合わせて、旭丘小学校に改名しました。

ただし、このおはなしは、読み方「えこだ」「えごた」論争とは、別のおはなし。

改名する前の「(練馬区)江古田町」は、「えごたちょう」と読みました。

諸説があり、中には、西武鉄道がイメージアップの為、きれいな発音にした、等もありますが、

実際のところは、「2つの江古田」を区別する必要性に迫られて、

練馬区側は「えこだ」、中野区側は「えごた」と、人々の間で自然に定着していったようです。

なにせ住民投票までして、わざわざ地名を変えるほど、不便だったようですから・・・

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 ⇒南町という地名のおはなし
 ⇒練馬区独立記念の碑


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放光王地蔵尊@新桜台

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新桜台駅から環七沿いに板橋方面へ少し行ったところ。

羽沢交番の先にあるセブンイレブンの裏に、お地蔵さんがあります。

放光王地蔵尊
放光王地蔵尊(羽沢)

由来
放光王地蔵尊説明書き

当、「放光王地蔵尊」は、俗に羽沢三佛の内に数ある一名「北向き地蔵さま」とも言われ、昔は練馬と板橋を堺に街道の辻に当り道行く人の目印ともなり永い間地域の人々に親しまれてきました。その建立については、確たるものは見当たりませんが地蔵信仰の暦文からして2百数十年前、平安後期から鎌倉時代に建立されたものだと察します。現在の設立は、昭和4年(1929)9月お彼岸に鈴木忠八郎翁を代表に有志43名程にて寄付されたものです。そもそも地蔵菩薩とは「クシティガルバ」の意訳で、ダイア地の母胎という意味。閻魔大王の化身ともされ、別名「妙幢菩薩」とも呼ばれる。お釈迦様が亡くなってから56億7千万年後に救済者弥勅菩薩が出世するまでの間、無仏の世界にあって地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻して苦しむ人々をあの世とこの世の境である六道の入口に立ち、衆生を教化し救うという菩薩です。放光王地蔵尊は、人道を説く地蔵尊とされております。お姿は僧形が多く右手に鍚杖か与願印をとり左手に宝珠を持ち、ご礼拝供養のご真言は「おん かかか びさんまえい そわか」と繰り返すほど、そのご利益は増し安産・健康・長寿・知恵・豊作・救財などのご利益があり、病気にかからない・水の難、火の難に遭わない・苦しみに通じるところが滅びるなどの28種の功徳を得られるでしょう。この羽沢の「北向き地蔵さま」は童子のお姿で地域の人々に親しまれご利益を与えてくださることで有名です。

要約すると、平安後期から鎌倉時代に建立されたと思われる「北向き地蔵さま」。現在あるのは、1929年9月に有志が寄贈したもの。安産・健康・長寿・知恵・豊作・救財などのご利益があるそうです。

拝めば、きっとご利益があります。見つけてみて下さい!!

ところで、「羽沢3佛の内の1つ」と書かれていますが、あと2つ、どこだろ?

場所はこのへん

東京都練馬区羽沢


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子育稲荷大明神@江古田

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千川通りと文化通りを結ぶ細い路地にあります。

子育稲荷大明神
子育稲荷大明神

元々は千川上水の堤にあったものを、暗渠化にともない移設。

赤ん坊の夜泣きに大変ご利益があり、夜泣きがおさまると、お礼に油揚げを供えたとか。

(練馬区旭丘1丁目37-5)

場所はこのへん

東京都練馬区旭丘1丁目37−5


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南町という地名のおはなし

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桜台駅北口、あだちやの向かいに南町医院という病院があります。



今回は、「病院」の紹介ではなく、南町という「地名」のおはなし。

年配の方には当然の話。若い人はあまり知らないかもしれない話。

昔、練馬・桜台・江古田は、南町でした、という話。

南町にできた病院だから、南町医院。その地名がなくなっちゃった珍しいケース。

本日は、珍しく(?)マジメモードで、歴史のお勉強です。

江戸時代、この一帯は、下練馬村でした。
 下練馬村:(現在の)北町、錦、平和台、氷川台、早宮、練馬、桜台、羽沢、栄町
 上練馬村:(現在の)旭町、土支田、光が丘、田柄、春日町、高松、貫井、向山

明治に入り、北豊島郡下練馬村に。平和台3-22-11に村役場がおかれました。

昭和に入り、1929年4月1日北豊島郡練馬町に改称。村役場は同じ場所で練馬町役場になりました。

1932年10月1日に板橋区が成立。北豊島郡が板橋区に編入されました。

その際、練馬町は、3つに分けられ、練馬北町、練馬仲町、練馬南町になりました。町役場は、同じ場所で板橋区練馬支所になりました。

・練馬北町(現:北町、錦の一部)
・練馬仲町(現:平和台、氷川台、早宮、錦の一部)
・練馬南町(現:練馬、桜台、羽沢、栄町)

1947年8月1日板橋区から、旧練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村が分離独立。練馬区が成立しました。

これに伴い、練馬北町、練馬仲町、練馬南町は、地名から「練馬」を取り除き、「北町」「仲町」「南町」に改称しました。

新桜台の開進第三小学校講堂に練馬区役所を新設。旧町役場は、練馬区役所第二出張所になりました。

現在、その場所には練馬区独立記念の碑が建てられています。
 ⇒過去記事:練馬区独立記念の碑

1949年1月15日練馬区役所が現在地に移転。

その後、1963年2月1日他、数回行われた改正で、

南町1丁目 ⇒ 栄町・羽沢1~3丁目
南町2~3丁目 ⇒ 桜台1~6丁目
南町3~5丁目 ⇒ 練馬1~4丁目

になりました。

南町が消えたのが1960年代のことなので、おそらく年配の方や地元出身者の間では常識なんですが、私は全然知りませんでした。

ちなみに、このブログのURL:http://s-nerima.jp/ の「s」は、南町のSouth(南)から付けました(・・・というのは嘘で、桜台の「s」でしたが、今日から変更という事で、よろしくお願いします。)

今後とも、南町(練馬・桜台・栄町・羽沢)のお店を勝手に応援していきます!



庚申塚@江古田ゆうゆうロード

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江古田駅と新桜台駅を結ぶ江古田ゆうゆうロード

その途中にある五叉路に、明和2年(1765年)10月18日に造立された庚申塚があります。

庚申塚(江古田ゆうゆうロード)


庚申塚とは、江戸時代に庚申信仰に基づいて、全国の街道沿い・道の交差しているところ、村の入り口などに造られた塔や塚。

平安時代、中国の道教に日本の仏教や民間信仰・習俗が融合して生まれた庚申信仰によれば、人間の体内に住む、上尸・中尸・下尸の三種類の虫が、60日に1度の「庚申の日」に、人間が眠った後で体外に抜け出し、天帝に人間の悪事を告げ口し、人間の寿命を縮めるとされ、それを防ぐため、「庚申講」と呼ばれる酒宴などをして眠らず過ごす風習が広まった。

時代が下り、「庚申の日」に限らず、青面金剛像や帝釈天などの石像・仏像を本尊として祀り、常に健康と長寿を願う為、江戸時代には数多くの庚申塔や庚申塚を建てられたんだとか。五叉路など道が交差するところや村の出口に設置する事で、三尸の虫が天帝のところに行くのをブロックする狙い。

しかし、明治時代に入り、庚申信仰を迷信と位置付けた政府の方針で撤去が進められ、道路整備の影響などで、多くの庚申塚が破壊・撤去された。寺院などの私有地にあったものを除き、破壊を免れたものは少ないようで。

結論としては、この庚申塚は、激レア歴史遺産です!

ちなみに、ネット情報では、この庚申塚に祀られているのは、青面金剛像だそうです。

・・・というような内容が、わざわざ調べなくても、近くに書いてありました…orz

庚申塚説明文


場所はこのへん


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富士塚登山@江古田浅間神社

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江古田駅北口正面の浅間神社初登山してきました。

浅間神社 外観

(よく黒ネコさんが居ます。)

浅間神社の名誉(?)の為に言っておきますが、この写真は、昨年の12月30日に撮影しました。

正月三が日は、初詣参拝で、大勢の人が押し寄せ、撮影どころではありません。

特に元旦は、この参道にお参りの行列ができ、道路まではみ出して並んでいます。

浅間神社 拝殿


お正月以外でも、年配の方などは、前を通る時に立ち止まってお辞儀をする等、普段から信仰を集めている神社です。

この拝殿の右奥に、国の重要有形民俗文化財に指定されている「江古田の富士塚」への入り口があります。


(クリックで拡大)

江古田の富士塚とは、富士山を信仰の対象として、江戸時代に作られた、高さ8m、幅30mの人工の山です。

頂上に、天保10年(1839年)に建築された石祠があります。

江戸時代には、富士山に登ると御利益があると広く信じられていて、必要な費用を出し合って代表者を富士山に送る「富士講」と呼ばれる組織が、関東各地に結成され、上板橋、中新井、下練馬の人々を中心に結成された、「小竹丸祓講」という富士講が作った山とされています。

代表者に選ばれなかった講員全員にも、富士山の御利益がいきわたるよう、リトル富士山を自分たちで作り、富士山から実際の溶岩を運ぶなどして、それに登る事で、「富士山に登ったのと同じ御利益が得られる」と考えていました。

江古田の富士塚入り口(2010年12月30日撮影)


通常、江古田の富士塚入り口は、鍵が掛けられ、閉ざされています。

正月3が日、山開き(7月1日)、浅間神社のお祭り(9月第2土・日)の、年3回のみ開山され、入山が許されます。



今日(1月3日)は、鍵が開いていました。

大山不動尊座像


入ってスグ、滝があります。撮影した時は、ただの滝だと思ってたのですが、よく見たら、上の方に石像が。ネットで調べたところ、大山不動尊座像との事。寛政2年(1790年)に建てられ、明治14年(1881年)に補修。

神猿


入り口では、向かい合わせの2匹の神猿がお出迎え。猿は神様の使いとされ、大正5年(1916年)に寄進されました。

茅原伏見稲荷神社祠


奥にあるのが、茅原伏見稲荷神社祠です。

何故「お稲荷さん」が? 浅間神社は、木花咲耶姫という別の神様を祀ってるんじゃ?と思いますが、基本的に、木花咲耶姫という神様は、「妻の守護神、安産の神、子育ての神」とされていて、農業と商売までカバーしきれません。そこで、「稲の神様」である稲荷大明神さんに、農業、商業分野をカバーしてもらい、いろんな神様に集まってもらって、神様連合を結成して、御利益を倍増させようというのは、よくある事のようです。多神教の国です。なんでもアリです。

身禄尊祠碑


昭和8年(1933年)設置。詳細不明。

歌碑


歌碑・・・全然、読めまへん。傾いてて、やや危険な気が。

烏天狗さん


大正12年(1923年)造立。

大天狗さん


大正12年(1923年)造立。

頂上の石祠


天保10年(1839年)にはバリアフリーという概念はないので、かなりキツイ。

溶岩ゴツゴツで、転んだら大惨事が起こりそうですが、怪我なく登頂・下山できたのは、さっそく御利益があったからかも。

江古田市場通り方面


頂上から江古田市場通り方面を眺めてみると、2階の高さに設置してある若みやさんの看板が、眼下に見えます。高さ8mって、たいした事ないと思ってたけど、意外と高いんだ。。

富士山(ついでにお稲荷さん)の御利益を受けたい方、次回は7月1日山開きの日に開山です!是非!!

場所はこのへん

東京都練馬区小竹町1丁目59−2

茅原浅間神社の詳細情報


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桜の碑

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千川通り沿い、菊元の向かい側に、桜の碑があります。



その脇には、この碑に関する説明文が添えられています。



桜台の名前の由来ともなった千川上水の桜並木。それを記念して有志の人が建てて区に寄贈したそうです。

説明の内容は、清戸道と千川上水と完全にカブってます。・・・どうせ誰も見ないだろうと油断したな!練馬区教育委員会。それを見つける地域ブログ。恐るべし!?

この看板、見つけたのは3枚目です。・・・練馬区教育委員会!いったい幾つ立てたの!?・・・地域ブログの意地にかけて、全部見つけてやる!!(無理&無駄)

素人が個人で運営しているので、情報提供等いただいても、遠方には行けませんw


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