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館内編・下@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)

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椎名町に7/7オープン!トキワ荘マンガミュージアム。

外観
トキワ荘(椎名町)

2020年7月7日オープン。南長崎花咲公園(トキワ荘公園)内。

外観や周辺については、館外編にまとめました。
 ⇒関連記事:館外編@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)(2020/7/16)

2階配置図
トキワ荘(椎名町)

14〜18号室については、館内編・上でまとめました。
 ⇒関連記事:館内編・上@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)(2020/7/16)

以下は、便所、共同炊事場、19〜22号室をまとめます。

なお、初見での感動を奪う意図はありませんので、これから行く予定で現場で初めて見たい方は、ここから先は見ないで下さい。既に行った方、これから行く予定だが見てもいい方、遠方すぎて現地に行くのが難しい方、新型コロナで外出するのが怖いのでネットで見たい方向け。

便所
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(本物)の便所は、汲み取り式で土管を通って、下のツボに落ちる仕組みでした。

臭いがきつく、目が痛くなるほどでした。

ミュージアムの便所は、見学のみで使用できません。

臭いは再現されていません。無臭です。

便所
トキワ荘(椎名町)

便所
トキワ荘(椎名町)

共同炊事場
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(本物)には、1階・2階それぞれに、共同炊事場がありました。

共同炊事場
トキワ荘(椎名町)

まつば
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(本物)から1番近かった飲食店、中華料理 松葉。

よく出前をとっていました。

この松葉の器は、店に3つ残っていた当時使っていたもののうちの1つ。

再現ではなく、本物です。

流し台
トキワ荘(椎名町)

流し台は、食器だけでなく、洗濯などにも使われていました。

風呂なしで銭湯に通っていましたが、銭湯が閉まっている深夜などには、風呂代わりに体を洗うこともありました。

22号室(撮影NG)
トキワ荘(椎名町)

寺田ヒロオ先生は、1953年12月31日大晦日、トキワ荘22号室に入居。

面倒見がよく、トキワ荘のリーダー格・兄貴分。

「テラさん」と呼ばれ、慕われていました。

1954年7月、新漫画党を結成。

寺田先生は、「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」と考えていて、寺田先生の紹介で入居したマンガ家も多く、トキワ荘に優秀な新人マンガ家が集まったのは、偶然ではありませんでした。

22号室では、マンガ家仲間が集まって、宴会が行われていました。

焼酎をサイダーで割った、トキワ荘名物のチューダーなどが呑まれていました。

騒がしいので、1階の一般の住人から、ほうきで天井(床)をこづかれることもありました。

1957円6月20日 結婚を機にトキワ荘を退去。

寺田先生の当時の部屋は、トキワ荘通りお休み処に再現されています。

ミュージアムの22号室では、

パネル「地域と豊島区 協働のあゆみ」(撮影NG)

パネル「テラさんの部屋にみんな集まった」(撮影NG)

トキワ荘 門柱と建築模型のダンボールアート(撮影NG)

21号室
トキワ荘(椎名町)

21号室には、マンガ家は住んでいませんでした。

ミュージアムでは、空室(中に入れず)。

20号室(再現)
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

鈴木伸一先生は、中学時代から雑誌『漫画少年』にマンガを投稿。

1955年9月2日、寺田先生の紹介で、下宿先からトキワ荘20号室に転居。

ラーメン大好き小池さんのモデル。

杉並アニメーションミュージアム館長。

1956年2月、森安なおや先生が、20号室に同居(居候)。

1956年6月1日 鈴木先生が、アニメスタジオ「おとぎプロ」に入社し、転出。

森安先生、1956年末に退出。滞納家賃は寺田先生が肩代わり。

森安先生は、1957年から練馬区桜台のアパートに住み始めました。

よこたとくお先生は、赤塚先生と西荒川で共同生活をしていましたが、先に赤塚先生がトキワ荘に入居。

1958年、部屋が空くのを待って、よこた先生がトキワ荘20号室に入居。

1961年 結婚を機に、赤塚先生と同時期に退出し、近所の鈴木園の2階へ。

再現部屋は、よこたとくお先生の部屋が再現されています。

時期により入替予定。

19号室
トキワ荘(椎名町)

1958年3月、水野英子先生が、トキワ荘19号室に入居。

石ノ森先生・赤塚先生と「Uマイア」名義で合作マンガを描くためでした。

元々、3ヶ月間の期間限定の予定でしたが、半年間ほど滞在しました。

19号室(再現)
トキワ荘(椎名町)

19号室(再現)
トキワ荘(椎名町)

15号室や19号室のふすま絵は、水野英子先生が、トキワ荘(本物)のふすまを思い出しながら描いた絵柄を元に再現。

エレベーター(23号室)
トキワ荘(椎名町)

右奥エレベーターの場所には、23号室がありました。

向かいは18号室、隣が19号室。なぜ23号室なのか?

実は、1952年の棟上げの際は22号室までしかなかったのですが、のちに半間分、増築し、1部屋増やしました。

22号室まであり、1部屋増やしたので、23号室になりました。

1階
トキワ荘(椎名町)

エレベーターで1階へ。

1階の展示は、すべて撮影NG。

1階
トキワ荘(椎名町)

1階は、マンガラウンジ、企画展示室となっています。

マンガラウンジでは、トキワ荘ゆかりの漫画や書籍など約1500冊が閲覧できる予定(現在は、新型コロナの影響で閲覧不可)。

・映像ループ上映「マンガとあゆむ人生を語る」(鈴木伸一先生・水野英子先生・よこたとくお先生・山内ジョージ先生)トキワ荘での生活を体験したマンガ家たちが、当時の思い出や影響を受けた作品、創作活動などを語っています。

・ジオラマ・トキワ荘 ジオラマ作家山本高樹氏作

・部屋見取り図 鈴木伸一先生、水野英子先生が自分の部屋を書き足したもの

・マンガ関連年表

・14号室の天井板 1982年12月1日解体作業中のトキワ荘に手塚治虫先生が訪れ、自分が住んだ14号室の天井板に、リボンの騎士サファイアと自画像を描いた。警視庁5方面記者クラブで保管していた90cm✕30cmほどの天井板と、その天井板にまつわる説明パネルなどを展示。

企画展示室では、開館記念企画展「漫画少年とトキワ荘」

開館記念企画展「漫画少年とトキワ荘〜すべてはここから始まった〜」(7/7〜9/30)は、現存する貴重な雑誌『漫画少年』約100点を展示するとともに、トキワ荘との関わりなどを紹介。

雑誌『漫画少年』は、1948年1月号〜1955年10月号で休刊。

「ジャングル大帝」など多くの人気作品を掲載する一方、投稿欄を設け、新人の発掘にも取り組んだ漫画雑誌で、トキワ荘ゆかりのマンガ家も多く投稿しました。

・年表で辿る漫画少年とトキワ荘

・1986年特別展「トキワ荘のヒーローたち」寄せ書きの襖

・マンガ家相関図

・「トキワ荘ゆかりのマンガ家たち」 鈴木伸一先生・水野英子先生・よこたとくお先生・山内ジョージ先生の各コーナー(原画などを展示)

・永田竹丸先生コーナー

・パネル「新漫画党の活動とトキワ荘でのくらし」

・壁一面に、豊島区ゆかりのマンガ家などのお祝いメッセージ色紙を展示。

場所はこのへん

豊島区南長崎3-9-22

トキワ荘マンガミュージアムの詳細情報

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館内編・上@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)

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椎名町に7/7オープン!トキワ荘マンガミュージアム。

案内
トキワ荘(椎名町)

外観
トキワ荘(椎名町)

2020年7月7日オープン。南長崎花咲公園(トキワ荘公園)内。

外観や周辺については、館外編にまとめました。
 ⇒関連記事:館外編@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)(2020/7/16)

お客様へご協力のお願い
トキワ荘(椎名町)

外観
トキワ荘(椎名町)

さっそく館内に入っていきましょう。

なお、初見での感動を奪う意図はありませんので、これから行く予定で現場で初めて見たい方は、ここから先は見ないで下さい。既に行った方、これから行く予定だが見てもいい方、遠方すぎて現地に行くのが難しい方、新型コロナで外出するのが怖いのでネットで見たい方向け。

フロア案内
トキワ荘(椎名町)

1階は、マンガラウンジ、企画展示室。

2階は、常設展示室、再現部屋、パネル展示室、炊事場、便所、廊下。

渡り廊下でつながる、左にある建物(非公開)は、収蔵庫、スタッフルーム。

収蔵庫には、展示されていない資料などが保管されています。

配電盤
トキワ荘(椎名町)

階段
トキワ荘(椎名町)

階段
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(本物)と同じ14段に造られた階段は、色や質感だけでなく「ギシギシ」という音も忠実に再現。

撮影可能エリアのご案内
トキワ荘(椎名町)

配布している「撮影可能エリアのご案内」で、グリーンの撮影可能エリアにある部屋や廊下は撮影OK、グレーの部屋は撮影NG、と、スタッフから説明を受け、7/9に、撮影可能エリアのみ撮影。グレーの部屋にあるパネルの右下に、撮影NGマークがついているもの、ついていないものがあるのに気づき、スタッフに確認したところ、グリーンの撮影可能エリアは、すべて例外なく撮影可能。グレーの部屋は、撮影NGのものが含まれており、撮影NGマークがついているものだけ撮影NG、グレーの部屋でも撮影NGマークがついていないパネルなどは撮影可能、と確認。7/9閉館時間が迫っていたため、事前予約を取り直し、7/16グレーの部屋の撮影NGマークがついていない部分を追加で撮影。

なお、撮影可能なものを撮った写真であれば、営利・商業目的ではない個人が趣味で運営しているブログ・SNSは、事前の取材申請・審査や、掲載前の検閲・校正は不要で、掲載可能と、スタッフに確認済。

撮影可能エリア
トキワ荘(椎名町)

撮影可能エリアは、撮影OK、フラッシュ・三脚禁止。

※一脚、自撮り棒は使用禁止。全館動画撮影禁止。

2階配置図
トキワ荘(椎名町)

2階は、炊事場、便所は、各部屋にはなく共同。

トキワ荘は、今でいうシェアハウスでした。

風呂なし、近所の銭湯に通っていました。

各室の広さは、4畳半。

階段すぐの部屋だけ広く、常設展示室に。

23号室は、エレベーターに(後述)。

マンガ家だけでなく、一般の方も住んでいました。

1954年
トキワ荘(椎名町)

1956年
トキワ荘(椎名町)

1958年
トキワ荘(椎名町)

1961
トキワ荘(椎名町)

廊下
トキワ荘(椎名町)

整理整頓
トキワ荘(椎名町)

常設展示室 13号室
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

階段からすぐの部屋(玄関の上)だけ広く、ベランダもありました。

トキワ荘(本物)では、マンガ家ではなく、一般の家族が住んでいました。

ミュージアムでは、常設展示室として利用。

常設展示室では「椎名町とトキワ荘の時代」展。

パネル「トキワ荘があった椎名町ってどんなまちだったの?」(撮影NG)

パネル「椎名町アルバム」(撮影NG)

パネル「トキワ荘の時代」(撮影NG)

パネル「トキワ荘があった頃の椎名町」(撮影NG)

写真&模型「トキワ荘があった頃の椎名町」(撮影NG)

14号室
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘に、最初に入居したマンガ家は手塚治虫でした。

棟上げの翌年1953年、トキワ荘14号室に入居。

トキワ荘の住人で、雑誌『漫画少年』加藤謙一氏の次男の紹介でした。

既に「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」などを連載。(ジャングル大帝『漫画少年』1950年11月号〜1954年4月号、鉄腕アトム『少年』1952年4月号〜1968年)

食べられない駆け出しのマンガ家というイメージのトキワ荘ですが、手塚先生は例外で、既に売れっ子。

1954年の年収は217万円、長者番付の画家部門1位。

後にトキワ荘に入居するマンガ家からは、あこがれの存在でした。

翌年1954年10月、鬼子母神の並木ハウス2階10号室に転居。

空いた14号室には、手塚先生と入れ替わりで、藤子・F・不二雄(藤本弘)先生と藤子不二雄A(安孫子素雄)先生の2人が入居します。

当時のトキワ荘の家賃・礼金は3000円、敷金は3万円でした。

手塚先生が退出する際、敷金3万円と、マンガを描く机を置いていってくれたのは有名なエピソード。ちなみに、敷金3万円は6年かけて手塚先生に返済されました。

手塚先生と藤本・安孫子(藤子不二雄)両先生は、同じ机を使って、マンガを描いていました。

その譲り受けた机(本物)は、安孫子先生の実家である富山・氷見の光善寺にあります。

14号室
トキワ荘(椎名町)

14号室は、再現部屋ではなく、パネル設置部屋。

パネル「トキワ荘とは」

パネル「トキワ荘年表」

パネル「トキワ荘再現までの道」(撮影NG)

トキワ荘とは
トキワ荘(椎名町)

ふすま絵
トキワ荘(椎名町)

天井
トキワ荘(椎名町)

ミュージアムでは、天井も当時のものを再現。

豊島区郷土資料館に保管されていた本物のトキワ荘の天井板を高解像度撮影。

不燃クロス材にプリントして設置、エイジング加工。

天才マンガ家たちが青春時代、アイデアに詰まって寝転び見上げていたかもしれない天井。

是非、部屋に入ったら、見上げてみて下さい。

15号室
トキワ荘(椎名町)

14号室に2人で同居して使っていた藤子両先生でしたが、隣の15号室が空いたため、翌年1955年、藤子・F・不二雄(藤本弘)先生が15号室に転居。

1955年から15号室では、藤本先生が、富山から母を呼びよせ同居。

同じく、14号室では、安孫子先生が、富山から姉を呼びよせ同居。

1959年創刊の『週刊少年サンデー』創刊号からの新連載にそなえて、近所の兎荘というアパートに仕事部屋を借り、追い込み時には兎荘に泊まり込むこともありました。

昼には藤本先生のお母さんの料理を食べにトキワ荘に戻っていました。

1961年トキワ荘を退去し、川崎市へ。

藤子スタジオを設立し、安孫子先生の実姉が社長。

15号室
トキワ荘(椎名町)

15号室も、再現部屋ではなく、パネル展示室。

パネル「トキワ荘のくらし」

パネル「1956年の物価」

パネル「マンガ家たちの生活・文化圏マップ」(撮影NG)

16号室
トキワ荘(椎名町)

1954年5月4日 石ノ森先生の部屋に居候としてトキワ荘19号室に入居。

両先生とも大御所すぎて想像つきませんが、赤塚先生は石ノ森先生のアシスタントや身の回りの世話をしていました。

1956年8月、石ノ森先生のいた19号室の隣が空いたため、赤塚不二夫先生は、23号室に入居。

しかし、23号室は、1階の共同炊事場の真上にあり炊飯の時間など暑く、西日も当たり、仕事にならないので、16号室に転居。

1957年4月、赤塚先生の母親が上京・同居。

1960年 近所の紫雲荘202号室を仕事部屋として借り、食事時には母の料理を食べにトキワ荘に戻っていました。

1961年 赤塚先生は、1度目の結婚をして、近所の鈴木園2階へ転居。

赤塚先生転居後も、赤塚先生の母はしばらくトキワ荘り、1962年〜64年には赤塚先生の父も入居。

マンガ家へんしん部屋
トキワ荘(椎名町)

16号室は、「マンガ家へんしん部屋」と題し、マンガ家になりきって撮影できるコーナー。

16号室(7/9)
トキワ荘(椎名町)

16号室(7/16)
トキワ荘(椎名町)

開館した週7/9にはあったのですが、新型コロナ感染拡大防止のため、7/16訪問時には撤去されました(新型コロナ収束次第、再開予定)。

17号室
トキワ荘(椎名町)

石ノ森章太郎先生は、1956年5月4日、最初は、トキワ荘19号室に入居。

しかし、西日が強すぎて徹夜後に昼間に寝ていても起きてしまうため、向かいの17号室に転居。

1956年5月15日 宮城・登米から姉が上京・同居。

1958年4月4日 トキワ荘のマドンナ的存在だった姉が急逝。

1961年8月 世界一周旅行(70日間)。

1962年 トキワ荘を退去。銭湯あけぼの湯に隣接した、あけぼのハウスに転居。

17号室
トキワ荘(椎名町)

17号室のマンガ家体験は、実際にペン入れなどを体験できるコーナー。

新型コロナ感染拡大の為、休止中。

パネル「マンガができるまで」(撮影NG)

パネル「マンガの表現」(撮影NG)

映像「マンガの描き方」村井直巳先生

18号室
トキワ荘(椎名町)

18号室(再現)
トキワ荘(椎名町)

18号室(再現)
トキワ荘(椎名町)

18号室(再現)
トキワ荘(椎名町)

18号室は、隣の17号室の石ノ森先生がアシスタントの仕事部屋として借りていました。

アシスタントの山内ジョージ先生、のちに、長田吉夫先生が加わり、机が2つ再現されています。

室内にある映画フィルムや本などの私物は、自室に置ききれずにあふれた石ノ森先生のもの(再現)。

石ノ森先生は、自室17号室の退去後も、アシスタント部屋はしばらく残していました。

山内先生は、1960年9月〜1962年3月までトキワ荘に住み、石ノ森先生や赤塚先生のアシスタントをしました。

山内ジョージ先生が、マンガ家としてはトキワ荘の最後の住人でした。

長くなりすぎたので、館内編・下に続きます。
 ⇒関連記事:館内編・下@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)(2020/7/16)

場所はこのへん

豊島区南長崎3-9-22

トキワ荘マンガミュージアムの詳細情報

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館外編@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)

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椎名町に7/7オープン!トキワ荘マンガミュージアム。

トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

サングローブ

2020年7月7日オープン。南長崎花咲公園(新通称:トキワ荘公園)内。

マンガ界のレジェンドたちが青春時代を過ごした伝説の木造アパート・トキワ荘を実寸大で再現。

トキワ荘は、1952年12月6日棟上げ、1982年11月29日老朽化により解体。

跡地は、更地になり、現在は会社の社屋が建った敷地内に、小さなモニュメントだけがあります。

約40年の時を経て、跡地から徒歩2〜3分の公園内に、復元されて、現代に復活。

残された多くの写真や、元住人などの協力を得て、「当時の姿を忠実に再現」。

入館は無料(企画展などで有料になる場合あり)。

当面は、事前予約制(電話orホームページ)。

予約なしに行っても、原則入れません。

トキワ荘公園
トキワ荘(椎名町)

公園内配置図
トキワ荘(椎名町)

南長崎花咲公園は、新通称・トキワ荘公園に。

2019年1月15日着工。

2020年3月22日開館予定が、新型コロナの影響で延期。

2020年6月28日、開館記念式典、関係者&メディア内覧会

2020年7月7日開館

6/28予約受付開始の日に事前予約した7/9に初訪問。

(初日7/7はマスコミやコアなファンが多そうなので回避)

事前予約して7/16再訪問。

寄付者御芳名
トキワ荘(椎名町)

銘板
トキワ荘(椎名町)

総事業費は9億8000万円。

全国の個人・法人から寄付を募り、960件・約4億2000万円が集まりました。

寄付者の法人名・個人氏名は、古い写真とともに、銘板に記載・展示。

引き続き、寄付募集中。

外観
トキワ荘(椎名町)

外観
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(本物)は、木造アパートでしたが、工法までは再現していなくて、トキワ荘マンガミュージアムは、木造風に見える鉄筋コンクリートなので、耐震性バッチリ。

トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

新築ですが、エイジングにより、錆びや黒ずみなど経年劣化も再現。

竣工から10年後を再現しているので、わりとキレイ。

個人的には、もっとボロボロなイメージでした。

トキワ荘(椎名町)

建物の裏側も見学できます。

裏側
トキワ荘(椎名町)

手前に見える土管は、汲み取り式の便所につながっています。

裏階段
トキワ荘(椎名町)

裏階段
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘には、玄関側の階段とは別に裏階段がありました。

松葉に近い側にあった為、松葉の出前は正面玄関にはまわらず、いつも裏階段から来ていました。

ミュージアムでは、非常用階段として通常は使用することが出来ません。

看板
トキワ荘(椎名町)

看板
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘の看板の形状や書体は、時代によって違いました。

ミュージアムの看板は、2種類の書体で再現されています。

地名も、現在は南長崎ですが、当時は駅名と同じ椎名町でした。

昭和41年(1966年)に住居表示により変更され、椎名町の町名は消えました。

書体
トキワ荘(椎名町)

旧落合電話局
トキワ荘(椎名町)

トキワ荘(椎名町)

トキワ荘の目の前には、日本電信電話(NTT)の落合電話局がありました。

電話ボックス
トキワ荘(椎名町)

電話
トキワ荘(椎名町)

昭和30年代は、まだ電話は普及していなかった為、公衆電話がトキワ荘のマンガ家たちの連絡手段でした。

出版社からマンガ家に電話ができないので、代わりに電報が送られ、マンガ家が出版社に公衆電話から連絡していました。

ミュージアム前には、当時の電話ボックスも再現されています(本物は既に撤去されています)。

前置きが長くなりすぎたので、館内編は、別の記事で書きます。
 ⇒関連記事:館内編・上@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)(2020/7/16)
 ⇒関連記事:館内編・下@トキワ荘マンガミュージアム(椎名町)(2020/7/16)

場所はこのへん

豊島区南長崎3-9-22

トキワ荘マンガミュージアムの詳細情報

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トキワ荘マンガミュージアム@椎名町【7/7オープン】

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トキワ荘(椎名町)

トキワ荘マンガミュージアム
住所 豊島区南長崎3丁目9-22
営業時間 10:00〜18:00
定休日 月曜日
WEB ホームページ
twitter
2020年7月7日オープン
南長崎花咲公園(トキワ荘公園)内
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