桜台在住の管理人が練馬・桜台・江古田周辺のお店やイベントを勝手に応援しています
練馬・桜台情報局MAP frickr フェイスブック ツイッター RSS お問い合わせ

練馬・桜台情報局

歴史探訪

「トキワ荘ゆかりの地」散策(椎名町)

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

豊島区の椎名町(南長崎)で、トキワ荘ゆかりの地を散策。

マンガの聖地 としま
椎名町駅

西武池袋線椎名町駅改札前などで配布している「トキワ荘ゆかりの地散策マップ」を片手に、昭和のマンガ家が暮らした椎名町、当時の面影を残す街並のトキワ荘跡地周辺を、まち歩きします。

トキワ荘ゆかりの地 散策マップ
トキワ荘ゆかり(椎名町)

椎名町駅改札
トキワ荘ゆかり(椎名町)

椎名町ギャラリー
椎名町駅

椎名町ギャラリー
椎名町駅

椎名町駅改札を出て右には、椎名町ギャラリー。

豊島区ゆかりのマンガ家が、定期的に展示が入れ替られ紹介されています。

現在(2018年8月)の展示は、横山孝雄先生。

トキワ荘住人・赤塚不二夫先生のアシスタント第1号として、一時は月の半分をトキワ荘で寝泊りしていたマンガ家。

作品には、『旅たて荒野』、『諸葛孔明グラフィティー』など。

椎名町駅南口
トキワ荘ゆかり(椎名町)

椎名町ギャラリーを右にすすみ階段へ。

椎名町駅南口
トキワ荘ゆかり(椎名町)

壁画
椎名町駅

椎名町駅南口階段踊り場には、大きな壁画が設置されています。

「ようこそ!トキワ荘のあった街 椎名町へ」

トキワ荘ゆかりの地 散策マップ
トキワ荘ゆかり(椎名町)

階段を降りたところにも、トキワ荘ゆかりの地 散策マップが設置されています。

椎名町公園
トキワ荘ゆかり(椎名町)

駅を後にして、椎名町公園方面へ。

椎名町駅公園に沿って左に曲がって、まっすぐ進みます。

あけぼの湯・あけぼのハウス跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

右を見ながら歩いていくと「ゆかりの地解説板」。

トキワ荘周辺では、このような「解説板」が、トキワ荘ゆかりの地に設置されています。

あけぼの湯・あけぼのハウス跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

あけぼの湯は、1973年頃まで営業していた銭湯で、トキワ荘のマンガ家も利用していました。

隣接していたアパート・あけぼのハウスには、トキワ荘を退出した石ノ森章太郎先生が、1962年から入居し、1年半ほど創作活動をしていました。

区民ひろば富士見台
トキワ荘ゆかり(椎名町)

あけぼの湯・あけぼのハウスの跡地は、区民ひろば富士見台となっています。

庭には、銭湯時代の灯篭などが残っています。

目白映画跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

さらに、まっすぐ進むと、大きな通り(目白通り)へ。

その角にも、ゆかりの地解説板・目白映画跡。

目白映画跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

目白映画は、トキワ荘のマンガ家たちが足繁く通った東宝系の映画館。

姉が亡くなった日に、石ノ森章太郎先生が映画を観ていたのも、この映画館。

目白東宝と名義をかえ、1970年頃まで営業していました。

目白映画跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

目白映画の跡地は、ドラッグストアになっています。

エデン跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

吉野時計店の前にも、ゆかりの地解説板・エデン跡。

エデン跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

1949年から営業していた音楽喫茶エデン。

トキワ荘のマンガ家たちが、最も通った喫茶店。

当時すでに冷房設備があったこの喫茶店で、よくマンガの構想をねり、ペン入れまですることもありました。

山手通りと目白通りの交差点にあり、山手通りの拡幅工事により、2002年に閉店。

交差点
トキワ荘ゆかり(椎名町)

交差点
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通り
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘のあった街 目白通り・二又商店会。

スタンプラリー
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通りにある2つの商店会共催で、マンガの聖地巡礼スタンプラリー実施。

目白通り二又商店会・南長崎ニコニコ商店街の15店にスタンプ台を設置。

吉野時計店の前にあるスタンプ台が東端なので、スタートorゴールに(押す順番は自由)。

スタンプラリー
トキワ荘ゆかり(椎名町)

スタンプラリー
トキワ荘ゆかり(椎名町)

菊香堂跡と鈴木園
トキワ荘ゆかり(椎名町)

菊香堂跡と鈴木園
トキワ荘ゆかり(椎名町)

菊香堂は、自家製パンやケーキ菓子の老舗。

トキワ荘のマンガ家たちも、コッペパン(当時10円)など利用していました。

隣の鈴木園の2階は当時アパートで、トキワ荘から転出した赤塚不二夫先生・よこたとくお先生が、1961年にそれぞれ新婚生活をスタートさせた場所。

赤塚不二夫先生の「おそ松くん」「「ひみつのアッコちゃん」、よこたとくお先生の「マーガレットちゃん」などは、ここで誕生しました。

鈴木園
トキワ荘ゆかり(椎名町)

タバコなどを販売している鈴木園は現在も営業しています。

バス停
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘のマンガ家たちも目白方面に行く時に利用していたバス停。

練馬方面の方は、都営バス白61で、桜台の練馬車庫(たまに練馬駅)から乗車し「南長崎二丁目」で下車すれば、トキワ荘通り近くに直通で行くことができます。

練馬・桜台からも、意外と身近なトキワ荘通り。

二又
トキワ荘ゆかり(椎名町)

目白通りとトキワ荘通りが二又になっていて、二又交番は、当時もあり現存。

トキワ荘通り
トキワ荘ゆかり(椎名町)

吉津屋米店跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

吉津屋米店跡
トキワ荘ゆかり(椎名町)

吉津屋米店は、トキワ荘のマンガ家たちも、米穀通帳の配布を受け、米の配達もしてもらっていました。

改築され、跡地は、トキワ荘お休み処に。

トキワ荘お休み処
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘お休み処
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘お休み処は、2013年12月15日オープンしたトキワ荘通り案内所。

1階では、トキワ荘関連本の閲覧ができる他、関連グッズ・資料の販売。

2階では、寺田ヒロオ先生の部屋の再現展示など、トキワ荘に関する展示コーナー。

南長崎マンガステーション
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘お休み処のすぐ近くには、南長崎マンガステーション。

マンガ・アニメによる街づくりの拠点。

信金
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘お休み処の向かいの信金にも、マップ展示。

トキワ荘の窓
トキワ荘ゆかり(椎名町)

信金さん
トキワ荘ゆかり(椎名町)

子育地蔵尊
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通りをさらに進むと、右の奥に、子育地蔵尊。

子育地蔵尊
トキワ荘ゆかり(椎名町)

開基1710年

元は、清戸道(目白通り)と練馬方面の二又地点にありましたが、1938年目白通りの拡幅工事のため現在地に移転。

子育地蔵尊
トキワ荘ゆかり(椎名町)

南長崎ニコニコ商店会
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通りに戻り、このあたりから南長崎ニコニコ商店会エリアへ。

紫雲荘
トキワ荘ゆかり(椎名町)

紫雲荘は、トキワ荘すぐ近くの現存するアパート。

トキワ荘の部屋が手狭になった赤塚不二夫先生が制作場所として部屋を借りました。

現在は、紫雲荘活用プロジェクトにより、若手マンガ家が居住。

入居者が、マンガ家デビューを果たしています。

トキワ荘通り
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通り沿いの松葉の向かいを右に入ると、トキワ荘跡地モニュメントがあります。

トキワ荘跡地入口
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘跡地入口
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘跡地モニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘跡地モニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

この場所に、日本を代表するマンガ界の巨匠たちが若き日を過ごした、トキワ荘がありました。

ただし、このモニュメントは実際のトキワ荘とは180度反転していて、モニュメントが設置されているのは当時のトキワ荘の裏側。

トキワ荘跡地モニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘跡地モニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘は、1952年上棟、1982年解体。

トキワ荘跡地モニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

木造モルタル2階建てアパートでした。

トキワ荘跡地モニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘2階の部屋割り。

手塚治虫先生、藤子不二雄A先生、藤子F不二雄先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生、水野英子先生、よこたとくお先生、森安なおや先生、鈴木伸一先生、寺田ヒロオ先生などが居住。

松葉
松葉(椎名町)

当時、トキワ荘のマンガ家たちが通い、出前もとっていた松葉は現存。

『まんが道』をはじめ、トキワ荘ゆかりマンガの中でも実名で登場しています。

トキワ荘ラーメンライス
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通り
トキワ荘ゆかり(椎名町)

さらに、進むと、右に鶴の湯跡地入口、その先に、南長崎花咲公園。

鶴の湯跡地入口
トキワ荘ゆかり(椎名町)

鶴の湯跡地入口
トキワ荘ゆかり(椎名町)

鶴の湯跡地
トキワ荘ゆかり(椎名町)

鶴の湯跡地
トキワ荘ゆかり(椎名町)

鶴の湯は、トキワ荘から1番近い銭湯。

トキワ荘のマンガ家たちが下駄をならしながら通いました。

1991年頃に廃業。跡地は一般住宅。

ポスター
トキワ荘ゆかり(椎名町)

水野英子先生が描いたトキワ荘。

チューダーあめ
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通りの名物!チューダーあめ。

テラさん発明のチューダーからヒントを得て、オリジナルあめを発売。

あさひや酒店
トキワ荘ゆかり(椎名町)

商店会の複数店舗で、トキワ荘通り名物チューダーを販売しています。

チューダーあめ
トキワ荘ゆかり(椎名町)

南長崎花咲公園
トキワ荘ゆかり(椎名町)

南長崎花咲公園
トキワ荘ゆかり(椎名町)

南長崎花咲公園には、記念碑「トキワ荘のヒーローたち」が設置されています。

記念碑「トキワ荘のヒーローたち」
トキワ荘ゆかり(椎名町)

記念碑「トキワ荘のヒーローたち」
トキワ荘ゆかり(椎名町)

記念碑「トキワ荘のヒーローたち」
トキワ荘ゆかり(椎名町)

記念碑から観て歩く探す マンガの聖地 椎名町
トキワ荘ゆかり(椎名町)

建設予定
トキワ荘ゆかり(椎名町)

(仮称)マンガの聖地としまミュージアム、2020年3月オープン予定。

トキワ荘を実寸大で復元し、居室や廊下などを再現するほか、企画展示やショップなど。

ミュージアム整備のため、寄付募集中。

スエヒロ堂
トキワ荘ゆかり(椎名町)

南長崎花咲公園の隣にあるスエヒロ堂。

トキワ荘通りスタンプラリー西端なので、ゴールorスタートに(押す順番は自由)。

スタンプラリー
トキワ荘ゆかり(椎名町)

南長崎公園
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通りをはなれ、少し歩いて、南長崎公園へ。

南長崎公園
トキワ荘ゆかり(椎名町)

南長崎公園には、マンガの聖地としま ラーメン屋台モニュメント設置。

ラーメン屋台モニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

ラーメン屋台モニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

田中正雄の仕事場
トキワ荘ゆかり(椎名町)

トキワ荘通りと目白通りの間には、田中正雄の仕事場 ゆかりの地解説板。

田中正雄先生は、手塚治虫先生と大阪時代から親交のあったマンガ家。

代表作「ダルマくん」。

落合南長崎駅
落合南長崎

トキワ荘通りは、落合南長崎駅からのアクセスもよく、都営大江戸線も利用できます。

南長崎スポーツセンター
トキワ荘ゆかり(椎名町)

ゼロくんモニュメント
トキワ荘ゆかり(椎名町)

南長崎スポーツセンター前には、ゼロくんモニュメント設置。

寺田ヒロオ先生『背番号0』のグラウンドは、南長崎スポーツ公園にあったグラウンドがモデル。

ゼロ
トキワ荘ゆかり(椎名町)

昭和のマンガ界の巨匠たちが若い青春の日々を過ごした街・椎名町(南長崎)。

モニュメントが奥まったところにあったりして、マップ片手に探しながら歩くのが楽しい!

「トキワ荘ゆかりの地 散策マップ」片手に、ゆっくり歩いてみませんか?

(トキワ荘跡地モニュメントの)場所はこのへん

トキワ荘

Tags: ,

練馬区桜台は石ノ森章太郎先生ゆかりの地(桜台)

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

日テレ24時間テレビ「 ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語 」2018年8月25日(土)夜9時頃放送

2018年は、萬画家・石ノ森章太郎先生、生誕80周年記念イヤー。

練馬区桜台は、石ノ森章太郎先生ゆかりの地。

石ノ森章太郎先生は、1938年(昭和13年)宮城県登米郡石森町生まれ。

1954年デビュー。1955年トキワ荘に住み始める。

1961年末、トキワ荘を退去。

1966年、練馬区桜台の自宅兼仕事場へ転居。

1967年、石森プロ設立(新宿区花園)。

1968年、石森章太郎プロ設立(練馬区桜台)。

1971年 仮面ライダー放映開始。

1985年 ペンネーム石森から石ノ森へ改名。

1989年 「萬画宣言」。

1998年 死去。享年60歳。

新宿の石森プロは、ライセンス管理など。

実際の創作活動は練馬区桜台の自宅兼仕事場(石森スタジオ)で行われていました。

44年間で、770作品を描いた多作の萬画家。

練馬区桜台から、多くの作品が世に送り出されました。

2018年は、生誕80周年記念イヤー。

大昔の歴史上の人物ではなく、意外と最近の偉人(生きていれば80歳)。

人気絶頂期の当時は、ファンレターの宛先として漫画家の住所が掲載されていて、練馬区桜台の自宅に多くのファンが押しかけていたとか。

桜台通りの交番には、道を尋ねるファンのあまりの多さに、石ノ森先生側で用意した地図があったとか。

「お会いしたことがある」とか、「出前したことがある」とか、

練馬区桜台には、石ノ森先生にまつわるエピソードがたくさん。

当時を知る練馬区桜台住民には、とても身近な存在。

桜台駅
桜台駅(桜台)

桜台駅改札前には、サイボーグ009の観光案内板。

サイボーグ009
桜台駅(桜台)

観光案内板(桜台駅)
桜台駅(桜台)

サイボーグ009
桜台駅(桜台)

魚民
魚民(桜台)

喫茶ラタンがあった場所は、現在の魚民(1階はパチンコ、2階が喫茶ラタン)。

喫茶ラタンには、石ノ森先生の専用席があり、ネーム入れをしていたとか。

数多くの石ノ森作品が、練馬区桜台で生まれました。

出身地・宮城には、ふるさと記念館、萬画館があり、若い頃を過ごしたトキワ荘が大注目をされる中、練馬区桜台は、あまり注目されることはありませんが、石ノ森先生ゆかりの地であることを、もっとアピールしたらいいと思う。

Tags: ,

パネル展示@佐々木邸(江古田)

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

10/7~10/14江古田ユニバース2012関連企画。

江古田の佐々木邸(同潤会分譲住宅)で、パネル展示が行われています。

佐々木邸
佐々木邸(文化財)

外観
外観@佐々木邸(江古田)

1923年(大正12年)の関東大震災により多くの家屋が失われ、大量の住宅供給の必要が出ました。

同潤会は1924年に設立され、大量の仮設住宅を建設。翌年から集合住宅・分譲住宅の供給を開始。

火に強い鉄筋コンクリート造の集合住宅はコストがかかり、家賃収入のみでは回収が困難なことから、1928年頃から木造平屋建ての分譲住宅を中心に供給。

こちらの佐々木邸は、1934年(昭和9年)竣工の同潤会江古田分譲住宅30棟の1つで、創建時の姿をほぼ残しています。

2010年2月に文化庁により主要部分が登録有形文化財として認定されました。

当時の生活様式を知る貴重な文化財となっています。

江古田ユニバース2012関連企画として、期間中、佐々木邸の外壁に、佐々木邸保存会&練馬まちづくりセンターによるパネル展示が行われています。

パネル
パネル@佐々木邸(江古田)

パネル
パネル@佐々木邸(江古田)

パネル
パネル@佐々木邸(江古田)

佐々木邸は、原則非公開で、不定期に見学会が行われています。

内部の見学はできませんので、外観から当時の様子をお偲び下さい。

場所はこのへん

東京都練馬区小竹町1丁目36−4

佐々木邸の詳細情報

Tags: ,

桜台の石仏・石碑

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

桜台を歩いていて、江戸時代の石仏・石碑を見つけました。

場所は桜台通り(バス通り)から広徳寺に至る旧道。

ちょうど五叉路になっているところ。

江戸時代には五叉路など交通の要所に、道案内の看板の替わりに、地蔵や庚申塔を建てて、道行く人の安全を図っていました。

江古田ゆうゆうロードの五叉路にも庚申塚があるねぇ~
 過去記事:庚申塚@江古田ゆうゆうロード

4基の石仏・石碑
IMG_2225

1番左
石仏@桜台

1番左の石仏は、寛政9年(1797年)に造立された青面金剛像の庚申塔。

左から2番目
石仏@桜台

左から2番目の石仏は、元禄2年(1689年)に造立された地蔵菩薩像。

たいへん優しく穏やかな顔をして、旅人の安全を見守っているお地蔵様。

左から3番目
石仏@桜台

左から3番目の石仏は、延享2年(1745年)に造立された青面金剛像。

邪鬼を踏みつけ、怖い顔して戦闘体制。旅人の安全を守っています。

ちなみに、一番右の石碑は、明治23年(1890年)に造立されたもの。

「馬頭観世音」と書かれています。

西洋的な文化を取り入れようとする明治政府は、日本の庚申信仰を迷信と位置づけ庚申塔などを破壊したので、残っているものはレアです。

2つの青面金剛像のお顔が崩れている(?)ように見えますが、自然に崩れたのか、削り取られたものなのかは不明です。

今ではすっかり人通りがなくなった旧道ですが、江戸時代には多くの旅人が、この前を通っていたんでしょうかねぇ。

昔はバスも電車もなく、徒歩のみだから大変だねぇ。

いろいろ想像すると、なんか歴史のロマンを感じるねぇ。

場所はこのへん

桜台駅(東京)


【関連記事】
    None Found

江古田富士塚

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

江古田冨士塚@2011/7/1

江古田浅間神社の裏にある江古田の富士塚

ここを「登山」できるのは、年3回のみ。

正月、7/1(山開き)、9月の第2土・日(浅間神社のお祭り)

当ブログでも、今年の正月に「登山」しました。
 ⇒過去記事:富士塚登山(2011/1/3)

貴重な年3回の機会、せっかくなので7/1(本日)行ってみると、

「あれ?門閉まってる!?」

そして、張り紙

震災による損傷があり、修復完了まで「登山」出来ないなんて!!

次回の9月第2土・日(浅間神社のお祭り)には間に合うのかな?

意外なところに、震災の傷跡が、まだ残っていました・・・

場所はこのへん

東京都練馬区小竹町1丁目59−2

茅原浅間神社の詳細情報


【関連記事】
    None Found

江古田という地名のおはなし

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

現在、練馬区には、「江古田」という地名はありません。駅名だけ、あります。

中野区には、「江古田」という地名があります。

でも、昔は練馬区にも、「江古田」という地名がありました。

1960年(昭和35年)、練馬区の「江古田町」は、「旭丘」に改名しました。

2つの「江古田」。先に生まれたのは、中野区側の「江古田」。

室町時代には、中野区側の江古田は、「江古田」と呼ばれていました。

江戸時代になって、武蔵国多摩郡江古田村になりました。

そこの村人が、現在の練馬区旭丘周辺を開拓。農地を整備・移住し、「分村」しました。

江古田新田(えごたしんでん)」と呼ばれました。

領地としては、武蔵国豊島郡に所属しましたが、特例として年貢の徴収などは、母村の多摩郡江古田村が行いました。

「武蔵国豊島郡上板橋村字江古田」と呼ばれました。

1878年、「東京府北豊島郡上板橋村字江古田」に。

1922年、武蔵高等学校(現・武蔵大学)創立とともに、武蔵稲荷付近に停留所が設けられました。

1923年、江古田駅が開業。

(当時は)江古田という地名の場所に建てたので、江古田駅という駅名をつけました。

1932年、板橋区が成立。

それと同時に、上板橋村は、上板橋、小山町、茂呂町、根ノ上町、大谷口町、向原町、小竹町、江古田町に分かれ、「板橋区江古田町」になりました。

1947年、板橋区から練馬区が独立。

それと同時に、旧上板橋村から、小竹町と江古田町だけが練馬区に加わりました。

小竹町と江古田町だけが練馬区になった理由は、警察署の管轄が、練馬側だった為とも言われていますが、街道が東西に走り、経済圏が近かった為とも思われます。

「練馬区江古田町」として、練馬区の東端の地区となりました。

しかし、練馬区側と中野区側に「2つの江古田」があっては、わかりづらいという論争が勃発。

1960年(昭和35年)、住民投票が行われ、「江古田町」は、「旭丘」に改名されました。

旭丘という地名は、町内の「旭ヶ丘小学校(旧・上板橋第三小学校)」から付けました。

1963年、旭ヶ丘小学校は、地名に合わせて、旭丘小学校に改名しました。

ただし、このおはなしは、読み方「えこだ」「えごた」論争とは、別のおはなし。

改名する前の「(練馬区)江古田町」は、「えごたちょう」と読みました。

諸説があり、中には、西武鉄道がイメージアップの為、きれいな発音にした、等もありますが、

実際のところは、「2つの江古田」を区別する必要性に迫られて、

練馬区側は「えこだ」、中野区側は「えごた」と、人々の間で自然に定着していったようです。

なにせ住民投票までして、わざわざ地名を変えるほど、不便だったようですから・・・

関連記事
 ⇒南町という地名のおはなし
 ⇒練馬区独立記念の碑


【関連記事】
    None Found

放光王地蔵尊@新桜台

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

新桜台駅から環七沿いに板橋方面へ少し行ったところ。

羽沢交番の先にあるセブンイレブンの裏に、お地蔵さんがあります。

放光王地蔵尊
放光王地蔵尊(羽沢)

由来
放光王地蔵尊説明書き

当、「放光王地蔵尊」は、俗に羽沢三佛の内に数ある一名「北向き地蔵さま」とも言われ、昔は練馬と板橋を堺に街道の辻に当り道行く人の目印ともなり永い間地域の人々に親しまれてきました。その建立については、確たるものは見当たりませんが地蔵信仰の暦文からして2百数十年前、平安後期から鎌倉時代に建立されたものだと察します。現在の設立は、昭和4年(1929)9月お彼岸に鈴木忠八郎翁を代表に有志43名程にて寄付されたものです。そもそも地蔵菩薩とは「クシティガルバ」の意訳で、ダイア地の母胎という意味。閻魔大王の化身ともされ、別名「妙幢菩薩」とも呼ばれる。お釈迦様が亡くなってから56億7千万年後に救済者弥勅菩薩が出世するまでの間、無仏の世界にあって地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻して苦しむ人々をあの世とこの世の境である六道の入口に立ち、衆生を教化し救うという菩薩です。放光王地蔵尊は、人道を説く地蔵尊とされております。お姿は僧形が多く右手に鍚杖か与願印をとり左手に宝珠を持ち、ご礼拝供養のご真言は「おん かかか びさんまえい そわか」と繰り返すほど、そのご利益は増し安産・健康・長寿・知恵・豊作・救財などのご利益があり、病気にかからない・水の難、火の難に遭わない・苦しみに通じるところが滅びるなどの28種の功徳を得られるでしょう。この羽沢の「北向き地蔵さま」は童子のお姿で地域の人々に親しまれご利益を与えてくださることで有名です。

要約すると、平安後期から鎌倉時代に建立されたと思われる「北向き地蔵さま」。現在あるのは、1929年9月に有志が寄贈したもの。安産・健康・長寿・知恵・豊作・救財などのご利益があるそうです。

拝めば、きっとご利益があります。見つけてみて下さい!!

ところで、「羽沢3佛の内の1つ」と書かれていますが、あと2つ、どこだろ?

場所はこのへん

東京都練馬区羽沢


【関連記事】
    None Found

子育稲荷大明神@江古田

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

千川通りと文化通りを結ぶ細い路地にあります。

子育稲荷大明神
子育稲荷大明神

元々は千川上水の堤にあったものを、暗渠化にともない移設。

赤ん坊の夜泣きに大変ご利益があり、夜泣きがおさまると、お礼に油揚げを供えたとか。

(練馬区旭丘1丁目37-5)

場所はこのへん

東京都練馬区旭丘1丁目37−5


【関連記事】
    None Found

南町という地名のおはなし

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

桜台駅北口、あだちやの向かいに南町医院という病院があります。



今回は、「病院」の紹介ではなく、南町という「地名」のおはなし。

年配の方には当然の話。若い人はあまり知らないかもしれない話。

昔、練馬・桜台・江古田は、南町でした、という話。

南町にできた病院だから、南町医院。その地名がなくなっちゃった珍しいケース。

本日は、珍しく(?)マジメモードで、歴史のお勉強です。

江戸時代、この一帯は、下練馬村でした。
 下練馬村:(現在の)北町、錦、平和台、氷川台、早宮、練馬、桜台、羽沢、栄町
 上練馬村:(現在の)旭町、土支田、光が丘、田柄、春日町、高松、貫井、向山

明治に入り、北豊島郡下練馬村に。平和台3-22-11に村役場がおかれました。

昭和に入り、1929年4月1日北豊島郡練馬町に改称。村役場は同じ場所で練馬町役場になりました。

1932年10月1日に板橋区が成立。北豊島郡が板橋区に編入されました。

その際、練馬町は、3つに分けられ、練馬北町、練馬仲町、練馬南町になりました。町役場は、同じ場所で板橋区練馬支所になりました。

・練馬北町(現:北町、錦の一部)
・練馬仲町(現:平和台、氷川台、早宮、錦の一部)
・練馬南町(現:練馬、桜台、羽沢、栄町)

1947年8月1日板橋区から、旧練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村が分離独立。練馬区が成立しました。

これに伴い、練馬北町、練馬仲町、練馬南町は、地名から「練馬」を取り除き、「北町」「仲町」「南町」に改称しました。

新桜台の開進第三小学校講堂に練馬区役所を新設。旧町役場は、練馬区役所第二出張所になりました。

現在、その場所には練馬区独立記念の碑が建てられています。
 ⇒過去記事:練馬区独立記念の碑

1949年1月15日練馬区役所が現在地に移転。

その後、1963年2月1日他、数回行われた改正で、

南町1丁目 ⇒ 栄町・羽沢1~3丁目
南町2~3丁目 ⇒ 桜台1~6丁目
南町3~5丁目 ⇒ 練馬1~4丁目

になりました。

南町が消えたのが1960年代のことなので、おそらく年配の方や地元出身者の間では常識なんですが、私は全然知りませんでした。

ちなみに、このブログのURL:https://s-nerima.jp/ の「s」は、南町のSouth(南)から付けました(・・・というのは嘘で、桜台の「s」でしたが、今日から変更という事で、よろしくお願いします。)

今後とも、南町(練馬・桜台・栄町・羽沢)のお店を勝手に応援していきます!



庚申塚@江古田ゆうゆうロード

TOP » ブログ » まち歩き日記 » 歴史探訪 »  

江古田駅と新桜台駅を結ぶ江古田ゆうゆうロード

その途中にある五叉路に、明和2年(1765年)10月18日に造立された庚申塚があります。

庚申塚(江古田ゆうゆうロード)


庚申塚とは、江戸時代に庚申信仰に基づいて、全国の街道沿い・道の交差しているところ、村の入り口などに造られた塔や塚。

平安時代、中国の道教に日本の仏教や民間信仰・習俗が融合して生まれた庚申信仰によれば、人間の体内に住む、上尸・中尸・下尸の三種類の虫が、60日に1度の「庚申の日」に、人間が眠った後で体外に抜け出し、天帝に人間の悪事を告げ口し、人間の寿命を縮めるとされ、それを防ぐため、「庚申講」と呼ばれる酒宴などをして眠らず過ごす風習が広まった。

時代が下り、「庚申の日」に限らず、青面金剛像や帝釈天などの石像・仏像を本尊として祀り、常に健康と長寿を願う為、江戸時代には数多くの庚申塔や庚申塚を建てられたんだとか。五叉路など道が交差するところや村の出口に設置する事で、三尸の虫が天帝のところに行くのをブロックする狙い。

しかし、明治時代に入り、庚申信仰を迷信と位置付けた政府の方針で撤去が進められ、道路整備の影響などで、多くの庚申塚が破壊・撤去された。寺院などの私有地にあったものを除き、破壊を免れたものは少ないようで。

結論としては、この庚申塚は、激レア歴史遺産です!

ちなみに、ネット情報では、この庚申塚に祀られているのは、青面金剛像だそうです。

・・・というような内容が、わざわざ調べなくても、近くに書いてありました…orz

庚申塚説明文


場所はこのへん


【関連記事】
    None Found