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|2011年5月8日
2010年11月11日オープン以来、人気急上昇中のブーランジェリー・ジャンゴ。
オープン初日にうかがってから、何度かおいしいパンを購入しています。
⇒過去記事:本日オープン!(2010/11/11)
ブーランジェリー・ジャンゴ 外観
こちらのお店も、江古田ミツバチ・プロジェクト参加店。
コラボ看板
「ミツバチ・プロジェクト」は、元々、銀座で始まりました。
⇒銀座ミツバチ・プロジェクト(公式ホームページ)
2006年3月、銀座のビルの屋上でミツバチを養蜂することからスタート。
ミツバチにより、ハチミツが、街路樹や皇居、日比谷公園などから集められました。
2006年(1年目) – 150kg
2007年(2年目) – 260kg
2008年(3年目) – 430kg
2009年(4年目) – 800kg
年を重ねるごとに、生産量も徐々に増えてきました。
しかし、ただハチミツとして販売しただけでは、田舎のプロの養蜂業者との差別化ができません。
そこで、地元・銀座のいろいろな商店とコラボ。
銀座の一流店でスイーツとして販売したり、石鹸に加工したり、カクテルに使用したりしました。
コラボの条件。それは、「実際に銀座に行かなければ、手に入らない商品であること」
ネットや銀座以外での販売は禁止。
これが話題となり、お客さんが銀座のコラボ店に足を運びました。
ハチミツで地域活性化!!
この活動が、「街おこし」の成功例として、全国に広がりました。
現在では、中延、自由が丘、多摩センター、日本橋、江古田、池袋、盛岡、仙台、横浜、大分、北海道など、各地で同様のプロジェクトが立ち上がっています。
江古田ミツバチ・プロジェクトもその内の1つ。
参加店の1つであるブーランジェリー・ジャンゴではアマンドを販売。
武蔵大学の屋上で採れた、おいしいハチミツ入りのアマンドが食べられます!
アマンド150円
江古田ミツバチ・プロジェクトは、2010年3月、武蔵大学の屋上でスタート。
⇒江古田ミツバチ・プロジェクト ブログ
⇒江古田ミツバチ・プロジェクト ツイッター
1年経った先月4/17には、コラボ店との試食会が行われたそうです。
管理人(私)は、昨年からハチミツを採ってる事は知っていたのですが、お店とコラボするという趣旨の部分を知らなかった為、イベントには参加しませんでした。
なので、遅ればせながら、コラボ店の現状を調べてみました。
・
アクアビット(バー)
昼は
はちみつレモネード、夜は
はちみつサワーを販売。
⇒過去記事:
はちみつレモネード@アクアビット(江古田)(2011/4/30)
・
すのうべる(カフェ)
ハチミツを使った
マドレーヌを販売(数量限定)。
⇒過去記事:
マドレーヌ@すのうべる(江古田)(2011/5/6)
・
ブーランジェリー・ジャンゴ(パン)
ハチミツを使った
アマンドを販売(数量限定)。
・
アンデルセン(洋菓子・ケーキ)
4/17イベント後、数日間販売。現在は販売終了。
・
雪華堂(和菓子)
採蜜量が少ない為、試作のみ参加。
⇒外部リンク:
雪華堂さんのブログ
まだ2年目の若いミツバチ・プロジェクトの為、現状では採蜜量が課題のようです。
この問題は、銀座と同じく、年を重ねるごとに解決していくと思われます!
ハチミツで地域活性化!!ハチミツで江古田を盛り上げよう!!
武蔵大学の屋上で採れたハチミツを使ったアマンドが買えるのは、新桜台のブーランジェリー・ジャンゴさんだけ!!
アマンド看板
なお、江古田ミツバチ・プロジェクト関連の記事一覧は下記から見れるようにしておきます。
⇒https://s-nerima.jp/wp/tag/eco_honey
(ブーランジェリー・ジャンゴの)場所はこのへん
ブーランジェリー・ジャンゴの詳細情報
Tags:
江古田ミツバチ・プロジェクト ,
ジャンゴ
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|2011年5月2日
新桜台駅から環七沿いに板橋方面へ少し行ったところ。
羽沢交番の先にあるセブンイレブンの裏に、お地蔵さんがあります。
放光王地蔵尊
由来
当、「放光王地蔵尊」は、俗に羽沢三佛の内に数ある一名「北向き地蔵さま」とも言われ、昔は練馬と板橋を堺に街道の辻に当り道行く人の目印ともなり永い間地域の人々に親しまれてきました。その建立については、確たるものは見当たりませんが地蔵信仰の暦文からして2百数十年前、平安後期から鎌倉時代に建立されたものだと察します。現在の設立は、昭和4年(1929)9月お彼岸に鈴木忠八郎翁を代表に有志43名程にて寄付されたものです。そもそも地蔵菩薩とは「クシティガルバ」の意訳で、ダイア地の母胎という意味。閻魔大王の化身ともされ、別名「妙幢菩薩」とも呼ばれる。お釈迦様が亡くなってから56億7千万年後に救済者弥勅菩薩が出世するまでの間、無仏の世界にあって地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻して苦しむ人々をあの世とこの世の境である六道の入口に立ち、衆生を教化し救うという菩薩です。放光王地蔵尊は、人道を説く地蔵尊とされております。お姿は僧形が多く右手に鍚杖か与願印をとり左手に宝珠を持ち、ご礼拝供養のご真言は「おん かかか びさんまえい そわか」と繰り返すほど、そのご利益は増し安産・健康・長寿・知恵・豊作・救財などのご利益があり、病気にかからない・水の難、火の難に遭わない・苦しみに通じるところが滅びるなどの28種の功徳を得られるでしょう。この羽沢の「北向き地蔵さま」は童子のお姿で地域の人々に親しまれご利益を与えてくださることで有名です。
要約すると、平安後期から鎌倉時代に建立されたと思われる「北向き地蔵さま」。現在あるのは、1929年9月に有志が寄贈したもの。安産・健康・長寿・知恵・豊作・救財などのご利益があるそうです。
拝めば、きっとご利益があります。見つけてみて下さい!!
ところで、「羽沢3佛の内の1つ」と書かれていますが、あと2つ、どこだろ?
場所はこのへん
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|2011年5月2日
千川通りと文化通りを結ぶ細い路地にあります。
子育稲荷大明神
元々は千川上水の堤にあったものを、暗渠化にともない移設。
赤ん坊の夜泣きに大変ご利益があり、夜泣きがおさまると、お礼に油揚げを供えたとか。
(練馬区旭丘1丁目37-5)
場所はこのへん
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|2011年2月25日
練馬・石神井にあったケーキ屋さん、
桜台で復活しましたよ!!
店名は、
CREME DOR(クレムドール)。
場所は、
茶庵じゃいがの跡地。
千川通りのみずほ銀行桜台支店の交差点を少し目白通り方面へ入ったところ。
80年続く和菓子の名店、
湖月庵芳徳のはす向かいです。
チラシ
オープンから3日間は、お買い上げの方に
もれなく焼き菓子プレゼント!
クレムドール 外観
店内も撮影させてもらいました!
ケーキ、いっぱい!
マドレーヌ&チョコ、おいしそう!
クッキーもあるよ!
イートインスペース?
残念ながら、イートインスペースは2席のみ。
桜台でイス取りゲーム開始!?
干支ケーキ(うさぎさん)
こちらのお店、練馬・石神井時代から有名なのが、
干支ケーキ。
毎年、その年の干支にちなんだケーキが登場!今年は
「うさぎさん」!!
カワイイ~!!
場所はこのへん
CREME DOR(クレムドール)の詳細情報
Tags:
クレムドール
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|2011年2月9日
桜台駅北口、あだちやの向かいに南町医院という病院があります。
今回は、「病院」の紹介ではなく、南町という「地名」のおはなし。
年配の方には当然の話。若い人はあまり知らないかもしれない話。
昔、練馬・桜台・江古田は、南町でした、という話。
南町にできた病院だから、南町医院。その地名がなくなっちゃった珍しいケース。
本日は、珍しく(?)マジメモードで、歴史のお勉強です。
江戸時代、この一帯は、下練馬村でした。
下練馬村:(現在の)北町、錦、平和台、氷川台、早宮、練馬、桜台、羽沢、栄町
上練馬村:(現在の)旭町、土支田、光が丘、田柄、春日町、高松、貫井、向山
明治に入り、北豊島郡下練馬村に。平和台3-22-11に村役場がおかれました。
昭和に入り、1929年4月1日北豊島郡練馬町に改称。村役場は同じ場所で練馬町役場になりました。
1932年10月1日に板橋区が成立。北豊島郡が板橋区に編入されました。
その際、練馬町は、3つに分けられ、練馬北町、練馬仲町、練馬南町になりました。町役場は、同じ場所で板橋区練馬支所になりました。
・練馬北町(現:北町、錦の一部)
・練馬仲町(現:平和台、氷川台、早宮、錦の一部)
・練馬南町(現:練馬、桜台、羽沢、栄町)
1947年8月1日板橋区から、旧練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村が分離独立。練馬区が成立しました。
これに伴い、練馬北町、練馬仲町、練馬南町は、地名から「練馬」を取り除き、「北町」「仲町」「南町」に改称しました。
新桜台の開進第三小学校講堂に練馬区役所を新設。旧町役場は、練馬区役所第二出張所になりました。
現在、その場所には練馬区独立記念の碑が建てられています。
⇒過去記事:練馬区独立記念の碑
1949年1月15日練馬区役所が現在地に移転。
その後、1963年2月1日他、数回行われた改正で、
南町1丁目 ⇒ 栄町・羽沢1~3丁目
南町2~3丁目 ⇒ 桜台1~6丁目
南町3~5丁目 ⇒ 練馬1~4丁目
になりました。
南町が消えたのが1960年代のことなので、おそらく年配の方や地元出身者の間では常識なんですが、私は全然知りませんでした。
ちなみに、このブログのURL:https://s-nerima.jp/ の「s」は、南町のSouth(南)から付けました(・・・というのは嘘で、桜台の「s」でしたが、今日から変更という事で、よろしくお願いします。)
今後とも、南町(練馬・桜台・栄町・羽沢)のお店を勝手に応援していきます!
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|2011年1月17日
江古田駅と新桜台駅を結ぶ江古田ゆうゆうロード。
その途中にある五叉路に、明和2年(1765年)10月18日に造立された庚申塚があります。
庚申塚(江古田ゆうゆうロード)
庚申塚とは、江戸時代に庚申信仰に基づいて、全国の街道沿い・道の交差しているところ、村の入り口などに造られた塔や塚。
平安時代、中国の道教に日本の仏教や民間信仰・習俗が融合して生まれた庚申信仰によれば、人間の体内に住む、上尸・中尸・下尸の三種類の虫が、60日に1度の「庚申の日」に、人間が眠った後で体外に抜け出し、天帝に人間の悪事を告げ口し、人間の寿命を縮めるとされ、それを防ぐため、「庚申講」と呼ばれる酒宴などをして眠らず過ごす風習が広まった。
時代が下り、「庚申の日」に限らず、青面金剛像や帝釈天などの石像・仏像を本尊として祀り、常に健康と長寿を願う為、江戸時代には数多くの庚申塔や庚申塚を建てられたんだとか。五叉路など道が交差するところや村の出口に設置する事で、三尸の虫が天帝のところに行くのをブロックする狙い。
しかし、明治時代に入り、庚申信仰を迷信と位置付けた政府の方針で撤去が進められ、道路整備の影響などで、多くの庚申塚が破壊・撤去された。寺院などの私有地にあったものを除き、破壊を免れたものは少ないようで。
結論としては、この庚申塚は、激レア歴史遺産です!
ちなみに、ネット情報では、この庚申塚に祀られているのは、青面金剛像だそうです。
・・・というような内容が、わざわざ調べなくても、近くに書いてありました…orz
庚申塚説明文
場所はこのへん
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