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  1. さすらい人
    2014/06/30

    所縁の薄い新江古田の住宅街を歩き続けた。小雨が降る夜の新江古田の住宅街は淋しい。新江古田に来るのは,まだ10年前,今日,長い歳月を経て会う旧友と歓談した,シズラーが在った頃以来だろうか。過ぎ去った日の郷愁に耽りながら,犀の角のようにただ独り歩むものの,一つ困ったことがあった。住宅街の電柱には住所標識が滅多に無く,各家にも住所表示は無い。すっかり道に迷ってしまった。今晩は語りあかすことは必然にせよ,なるべく早く到着したいものだ。時折出会う道歩く善良な住人に旧友宅の所在地を訪ねるものの,必ずしも彼らにも自明では無く,後で思えば,渦巻きのように歩き続けることになった。21時を過ぎて,いい加減うんざりしてしまい,再会の生の第一声の喜びも減じてしまうが,旧友に迎えに来てもらうおうかと考えるに至った。そして,大変小腹が空いていることに気が付いた。酒を飲む前に少し食事をしたいものだった。突然,シャッター通りと云うにはあまりにも唐突に,商店街の痕跡とおぼしき界隈に行き当たった。そこは昭和の世界だった。ただ一件,夏祭りの後のような哀愁と懐かしさを感じさせる灯りが灯る,小さな店が眼前に現れた。間口は狭いものの,門戸は開かれている。そして,2組の客席が全て埋まっていたが,カウンター席に余地ありと見受けられた。一見さんが入って良いものか?あまりにも親密な店内空間に躊躇いと好奇心が混在した。過ぎ去った道程には,年季の入った定食屋もある。引き返すべきか。約5分の躊躇いの後,私は引き寄せられた。若く健康的な恋人同士と,若者と老夫婦の寒暖の空間がそこには在った。
    壮年と云うには若いご夫妻が切り盛りするお店と知った。大変接客の丁寧なご婦人が,寡黙に忙しそうに調理する夫を支えている。ご夫妻の夢の結晶のお店なのだろう。思いが伝わるところあった。
    ただ,情と料理は分離して考えなければならない。食欲を満たし,かつ,腕前を私なりに理解するために,最もシンプルなナポリタンを注文することにした。コールドスープ,サラダの素材には,彼らの一定の視点を感じた。パスタの選択と茹で加減は適切と感じられた。長い歳月,修練を積み重ねて到達した料理人の研鑽の跡を感じた。味わいも,自己主張が抑制的であり,滋味深く,丁寧な仕事と見受けられた。
    お店を極端に狭くしていることで,ご夫妻との距離感が濃密であること,これらは作品としっくりと寄り添う不可分の関係に思われた。
    人々に愛されるお店を,作品を,丁寧にじっくりと作り上げて下さい。忙しく,変化の激しい今日の世に在って,おそらくそれは,ご夫妻が求める道のはずです。
    店を後にすると,昭和の郷愁の灯りが見送ってくれる…そんな余韻のするお店でありました。

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  2. 匿名
    2018/02/09

    とても素晴らしいコメントですありがとうございました。

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